子どもを連れて自宅を出た後も、しばらくの間、児童手当が夫の口座に振り込まれ続けていた――こうしたご相談は少なくありません。児童手当は本来、子どもと同居して監護している親に支給されるべきものです。この場合、妻は夫に対して、その分の返還を求めることができるのでしょうか。
婚姻費用の手続の中では扱ってもらえない
まず押さえておきたいのは、この児童手当の問題は、婚姻費用の分担を決める調停・審判の手続そのものの中では取り扱ってもらえない、ということです。
この点について参考になるのが、東京高等裁判所平成21年4月21日決定です。この決定は、児童手当と同じ性質を持つ特別児童扶養手当について、調停の中で婚姻費用とあわせて合意する分にはよいものの、話合いがまとまらず審判に移行した場合には、手当相当額の支払を命じることは審判事項に含まれない、との判断を示しました。婚姻費用分担の審判で決められるのは、あくまで婚姻費用分担請求権に関する事項に限られ、児童手当のような個別の給付の清算は、この枠組みの外にあるという考え方によるものです。
この考え方は、児童手当そのものについても同様に当てはまると理解されています。したがって、婚姻費用の調停・審判の中で、話合いによらずに「これまで夫が受け取った児童手当を返してもらう」という結論を出してもらうことは、基本的にはできません。
法的手段としては、不当利得返還請求がある
婚姻費用の手続の中で扱ってもらえないとしても、児童手当を受け取る権利がなかった夫に対して、その分を返してほしいという請求自体が消えるわけではありません。
児童手当は、子どもと同居して監護する親に帰属すべき給付です。子どもと別居した親が、本来受け取る資格のない児童手当を受け取り続けていたとすれば、法律上の原因なく利益を得て、そのために監護親側に損失を生じさせていると評価する余地があります。これは、民法703条が定める不当利得の考え方に当てはまり得るものです。理論的には、妻から夫に対し、この不当利得の返還を求める訴えを起こすことが考えられます。
もっとも、不当利得返還請求訴訟を起こせば当然に認められるというものではありません。不当利得が成立するかどうか、また、いくらの返還が認められるかは、別居に至った経緯や、夫婦間での児童手当の使途に関するやり取り、婚姻費用の支払状況など、個別の事情を踏まえて判断されるものであり、事案ごとに結論は異なり得ます。
ただし、実際にはハードルが高い
もっとも、これはあくまで「権利として請求できる」という話にとどまります。夫が任意に応じてくれるのであれば、当事者間の話合いだけで解決しますが、夫がこれを拒み、任意の返還に応じない場合には、最終的には訴訟を起こして、裁判所にその支払を命じてもらう必要があります。
そして、訴訟を起こすには、それ相応の時間と労力、そして弁護士費用等のコストがかかります。これに対し、児童手当は月額で数万円程度にとどまり、対象となる期間も数か月から長くて1年前後であることが多いため、争いになった場合に得られる金額は、決して大きいとはいえません。権利としては存在していても、実際に訴訟という手段に訴えてまで回収するかどうかは、費用対効果の観点から、かなりハードルの高い選択とならざるを得ない場合が多いといえます。
だからこそ、受給者変更の手続を早急に済ませておくべき
以上を踏まえると、いったん夫に振り込まれてしまった児童手当を事後的に取り戻すことは、制度上も、費用対効果の面でも、決して容易ではありません。そうであればこそ、実務上重要なのは、事後的な回収よりも、これ以上夫に振り込まれる状態を続けさせないこと、つまり、児童手当の受給者変更の手続を一日でも早く済ませることです。
受給者変更の手続にあたっては、多くの自治体で、①配偶者と住民票上、別の世帯として扱われていること、②手当を受けようとする親と子どもが住民票上同一世帯であること、③離婚に向けた協議が進行していることを確認できる資料の提出、という3つが要件として案内されています。
「世帯を分ける手続」は必ずしも必要ない
①については、誤解されやすい点があります。子どもを連れて別の住所に転居し、そちらで住民票を作れば、それだけで住民票上は夫とは別の世帯として扱われます。この場合、あらためて世帯分離の届出をする必要はありません。世帯分離の手続がわざわざ必要になるのは、事情があって同じ住所に住み続けながら、住民票の世帯だけを分けたいという場合です。つまり、「世帯を分ける手続」自体が独立して必須というわけではなく、要は、住民票上、夫とは別の世帯として扱われてさえいればよい、ということになります。
「離婚調停をすること」も、必ずしも必須ではない
③についても、しばしば「離婚調停を申し立てていなければならない」と受け取られがちですが、必ずしもそうとは限りません。自治体の案内では、離婚調停の申立てがされたことがわかる呼出状や、調停が不成立に終わったことの証明書のほか、離婚を求める意思を伝えた内容証明郵便の写しなども、協議が進行していることを示す資料の例として挙げられています。
つまり、離婚調停の申立てまでは踏み切っていなくても、相手方に離婚の意思を明確に伝えた記録が残っていれば、受給者変更の要件を満たせる可能性があります。もっとも、どのような資料が認められるかは自治体ごとの窓口の運用によって差があるため、実際に手続を進める際は、事前に窓口へ確認しておくことが望ましいといえます。
よくある質問
Q 夫に振り込まれ続けている児童手当について、婚姻費用の調停で一緒に返してもらうよう決めてもらえますか。
A 夫が話合いの中で応じるのであれば、調停の合意内容に含めること自体は可能です。しかし、話合いがまとまらず審判に移行した場合には、児童手当の返還は審判で決められる事項には含まれないと考えられています。
Q では、夫に受け取られた分は、あきらめるしかないのでしょうか。
A あきらめる必要はありません。理論的には不当利得返還請求の対象となり得ます。もっとも、訴訟を起こせば必ず認められるというものではなく、認められるかどうか、認められる金額は、別居に至った経緯などの個別の事情によって異なります。また、夫が任意に応じない場合は訴訟によらざるを得ず、対象となる金額の規模からすると、費用対効果の面でハードルが高いことも否めません。実務上は、婚姻費用や財産分与の話合いの中で、他の清算項目とあわせて解決を図ることが多いといえます。
Q 受給者変更のために、離婚調停の申立てや世帯分離の届出まで必ずしなければなりませんか。
A いずれも絶対の要件ではありません。転居によって住民票上すでに別世帯になっていれば、重ねて世帯分離の届出をする必要はなく、また、内容証明郵便など、離婚調停以外の資料で足りる場合もあります。自治体によって運用に差があるため、窓口で確認しながら進めるのが確実です。
児童手当の扱いについてご不安がある方へ
別居の経緯や、現在の受給状況を伺ったうえで、受給者変更の進め方や、既に受け取られた手当をどのように清算していくかを整理いたします。まずは状況をお聞かせください。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。制度の運用は自治体や事案によって異なる場合があり、必ずこのとおりになるとは限りません。具体的な対応については弁護士にご相談ください。

